久しぶりにスーパーカブ110に乗ってきた②(バイク神社・間宮林蔵記念館に行ってきた)

先月投稿した記事の続きで、近場をチョイ乗りする感じの記事になります。

ibaraki-boys.hatenablog.com

 

最近ツイッターを見ているとバイク神社へツーリングに行くのが流行っているみたいなので、自分も近場にあるバイク神社に行ってみることにしました。

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やってきたのは実家にほど近い「藤代オートバイ神社」です。

愛宕神社の分社のようで、昨年できたオートバイ神社だそうです。
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敷地内には存在感強めな顔ハメ看板も設置されていました。

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近くのお店でお守りやステッカーも売っているとのことです。ステッカーは300円、お守りは800円と割と良心的な値段設定です。
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バイク神社に参拝した後、帰路に着く途中で、「間宮林蔵記念館」と書かれた案内看板を見かけたので寄ってみることにしました。
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間宮林蔵といえば、宗谷岬を訪れた人なら誰もが記念撮影をしているモニュメントの隣にある銅像の探検家です。伊能忠敬の弟子として樺太を探検し、樺太が島であることを発見した偉大な探検家です。

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道路を挟んだ駐車場にカブを停めて記念館に入っていきます。入場料は大人100円、団体で50円とかなり良心的な価格に設定されています。

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館内は撮影禁止だったので写真をアップすることはできませんが、間宮林蔵の生い立ちを説明する資料や樺太探査当時の貴重な資料、測量器具などが展示されており、見ごたえのある記念館でした。

 

記念館の敷地内には間宮林蔵の生家もあります。実際の生家は現在の場所から50m南西にあったそうですが、昭和46年に現在の記念館がある場所に移築・復元されたそうです。f:id:helixwave2:20220205180547j:image

 

この家で15〜16歳まで過ごした後、幕府の下役人となり、20歳で蝦夷に渡ったそうです。
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生家の前は筑波山まで何も遮る物がなく、筑波山から冷たく強い風が吹きつけてきます。暖房器具も無い時代、冬になるとかなり寒かっただろうと思います。

樺太まで足を運んだ彼の凄まじい忍耐力は、この筑波颪によって培われたのかもしれませんね。f:id:helixwave2:20220205180538j:image

 

記念館のすぐ近くには、幼い頃の間宮林蔵の遊び場であり、間宮林蔵の墓がある専称寺があるため、記念館からの帰りに寄っていきました。
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決死の覚悟で蝦夷に渡った間宮林蔵の生前墓が境内にはありました。自動車も蒸気船もない時代に江戸から樺太の北限まで人力で踏破した体力、そして忍耐力にはただただ驚かされるばかりです。

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今では全土がロシア領となってしまった樺太ですが、いつかは自分のバイクで樺太ツーリングに行ってみたいところですね。

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(おしまい)

 

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